保育室は第2の家庭と考えています。黒板も必要なければ、幼い過剰な装飾も家庭的ではありません。落ち着ける環境作りを大切にしています。保育士を「○○さん」という呼び方もその一つです。学校教育の先取をするのではなく、安定した生活の上に様々な興味関心を持ち、それに共感してくれる大人と共に楽しんでく中で「自ら伸ばす力」を養っていきます。
食事と排泄を中心にした育児行為を同じ大人が同じ子どもの世話をすることを基本としています。
子どもにとって身体的、情緒的なお世話をしてくれる特定の人は愛着の対象です。
自分の生活に対していつも決まった大人が関わってくれ、その大人が自分の思いを受け入れてくれたり、満足できるような関わりを持ってくれるという体験を通して、特定の大人との間に愛着関係が形成されます。
誰に頼ればいいかが、はっきりとわかることで、安心し、信頼し、その関係性を土台にしてほかの人をも受け入れていくようになります。
話し方・動き・声・表情・服装・・・すべて子どもは見ています。子どもがあこがれるような存在でありたい。子どもたちのモデルとなれるよう技術を磨くことは、永遠の課題です。
絵本には、子どもにとってたくさんの良いといわれる要素があるといわれています。でも、一番大切にしたいことは、「心と心を通わせること」
何かを教えようとか、伝えたいとかではなく。。。絵本は楽しむもの。
大好きな人の膝の上で、心地よい声で読んでもらう時間。それはそれは幸福感でいっぱいなのです。
いつでも子どもたちが遊びたい玩具を揃え、豊かに遊びこめる環境を整えることを大切に考えています。子どもが自由に遊びを選択し、楽しく遊びながら自分自身を伸ばしていく力を十分に発揮できるように配慮しています。
遠野のわらべ唄は「人間育てのわらべ唄」です。
「目を見て・触れて・語りかける」これが大前提です。
大人の動作を真似ると、動作と同じ気持ちが起きます。真似る・応える・意思を出す・人を褒める・恥ずかしい・おいしい・嬉しい・・・この7つの気持ちを乳幼児期の一番大切な時に一番大切な力として育てるのが遠野のわらべ唄です。
豊平公園・むつみ公園・美園公園・緑地公園に毎日散歩に出かけます。2歳児は、雨降り散歩にも行きます。いつも歩く道にも小さな四季の移り変わりがあります。戸外で体を動かして遊ぶことで、たくましい身体と想像力・感受性を育みます。
小さな園庭ではありますが、花・野菜・いちごを育て、カタツムリやおたまじゃくし、カブトムシなどの生き物を飼って日々の変化を楽しんでいます。
温かいものは温かいうちに食べられるよう、食べる直前に盛り付けしています。
子どもにとって大事なことは、「どのような食品を食べたか」ではなく「どのような状況で食べたか」ということ。食事の思い出が苦しいものしかなければ、食べる事に関心をもちにくく食に対して意欲を持ちにくいものです。そして食事の中で築かれる大人との関係性は子どもの生きていく土台になっていくものです。
布おむつは濡れた感覚が赤ちゃん自身にすぐにわかります。オムツが濡れていると気持ち悪いと感じオムツを替えてもらうことできもちよく“すっきり”するといった「快」「不快」の気持ちがこども自身の中で少しづつ芽生えるような機会を作ることが出来ます。
「気持ち悪かったね。」「きれいにして気持ちよくなったね。」など、一人ひとりの子どもの気持ちに寄り添い、丁寧に声をかけながら、おむつ替えを行います。「自分は大切にされているんだ。」と感じる事の出来るような時間となるよう心掛けています。
その子が生まれた1年に1度の特別な日。その特別な日に一人ひとりをお祝いします。
誕生日当日には、特別に写真が飾られます。自分が祝ってもらった子どもは他の子どもの誕生日を一緒に喜んでくれます。他の子が祝ってもらっているのを見て、自分もきっと同じように祝ってもらえるのだという安心感を持つこともできます。
毎日の日課が安定していると「今は何をする時間」「次は何をするのか」「ここは何をするところ」という感覚が働き、「先を見通す」ことができるようになります。先が見えてくると、不安が少なくなり、自分で考えて行動することができるようになります。
とよひらる~むでは、何か特別なことがない限り、基本的に毎日の生活リズムが決まっています。
藤田 春義さん。定期的に保育の様子をビデオ撮影し、子どもたちへの関わり方、環境構成のあり方、玩具や絵本のこと等々…春義さんからたくさんのことを学ばせていただいています。
「なぜ?」をいつもわかりやすく心に響く言葉でお話してくれる心地よさ。毎月お配りしている、「庭しんぶん」の「はるよしさんにきいてみよう」は、なるほど納得の嵐です。